4 3月

「私にとって悩みもしあわせのすべて…、枯渇することなし」

私は、最近よくいわれる。あなたはしあわせやと。しあわせな人間やなぁ~と。何をみて隣人はそのように思うのか。
私がしあわせであると感じていることは否定も肯定もしない。それを自らが自然に感じているから。私の悩みがしあわせにつながっている。誰でもない自分が追いかけて求めてうまれる悩みであるから、しあわせである。新鮮なる涌き水のごとくあふれでる悩みがしあわせにかわって、枯渇することなしである。
しあわせがよってくる人生に何か法則があるのか。そのような本がよく売れているそうだ。
私が言えることは、自分が何か偉い人間になったから…、私が何か成功したから…、私が高学歴であるから…、私にに何か法則があるから、だから、しあわせなのか。いや、そのような性質や性格のものではなさそうだ。ただ、ひとつあなたに伝えることができるとするならば、私は自分のやりたいことを追いかけて追いかけきた人生であるといえる。
今も追いかけている。つまり、追いかけて、求めての繰り返しである。それが叶うとか、叶わないとかを先に考えないことが、私にとってこれまた、しあわせなことである。
そんなことは、二の次である。もうひとつの気づきがある。それは隣人が追いかけて求めていることに連鎖していた…、連鎖しているというたしかなしあわせである。
以上が、つきることなく追いかけて、求めるしあわせ人生実現への、私のプロセスである。それが自然に添えられているから、尚、しあわせ。
幸いなるかな…しあわせをわかちあいましょう。